【はじめに】
ここに書いてあることはほとんど日記みたいなものです。というか日記ですね。(^_^;興味のない人にはかなりつまらないかもしれません。1997年の8月にほんの1週間だけアメリカはボストンのバークリー音楽大学というところに行ったことがあります。サマー・プログラム“Boston Summer Guitar Session”に参加するためです。お金さえ払えば誰でも参加できるプログラムなので、別にスゴいこととかではないんですが、なにせはじめての海外体験だったので、本当にたくさんのことを思いました。それについて書き残しておきたい(または誰かに話したい)と思ってその年の秋から冬にかけて、後輩へのEメールという形で書いたものです。今回自分のHPを開くことを決めたときに「音声ファイルだけじゃあれだしなー。」と、その時のメールをもうちょっと読みやすく編集してアップすることを思いつきました。せっかくだからいろんな人に読んでもらって、感想とかを聞けたら面白いかなーと思います。というわけで、お読みになった感想、お待ちしております。(^_^ ではごゆっくり(根気よく…(^_^) I. 出発以前 時は1997年2月、友達のバンドのドラマーが抜けてしまい、その後任メンバー探しを手伝っているときのことです。応募してきた中にニューヨークでドラムスクールに短期間通っていたという人がいました。「へぇー。N.Y.ですか。どうでした?」なんて話を(メールでね)しているうちに、「今年の夏にバークリーでギターの短期集中講座みたいのがあるらしいよ。」というのを教えてくれて、バークリーのメールアドレスも教えてくれました。それで「ちょっと問い合わせだけでもしてみよっと。」と思ってメール出したのがそもそもの始まりです。 |
さて、ところで最初にお話したように、これはもともと後輩に宛てたEメールを元に編集してありますので、言葉づかいなどがちょっと変だったりやけになれなれしかったりしますが、どうかそこはご容赦ください。親しい友達の話でも聞いているつもりで読んでくれたら嬉しいです。(^_^。 |
「ちょっと問い合わせだけでも」って書いたけど、実はバークリーに問い合わせをしたのは、これが初めてのことじゃありません。昔勤めてた塾に通ってる生徒の中には夏休みにホームステイしたり、すごいのになると「日本の大学じゃつまんないから、高校卒業したらアメリカの大学に行く。」なんていう子もいました。去年の夏、俺が塾で教えはじめた頃に通っていた女の子がアメリカ留学から夏休みで帰ってきたといって塾に遊びに来たときの話。アメリカでのいろいろな話を聞かされて、「留学かぁ。一生に1度くらいはなぁ。そういえば東京に出てくるときも漠然と、いつかは留学しようって思ってたっけ…。」と、著しく感化されちまったんです。ちなみに北海道の、特に俺が育ったようなド田舎では、東京に行くも海外に行くもニュアンス的にはあんまり変わりません。なんせ東京は実際に“海外”なんだから。(ひぇー。何てとこだ、北海道って。^^)
ギンギンに感化されたオイラはその後1週間もしないうちに留学の雑誌を買い(まぬけー^^;)「今から俺が留学するとすればやっぱり音楽学校だよなー。」と思って、その雑誌に載ってた2つの音楽学校に即、国際電話。ちなみにこれが国際電話デビューであったのだが、その2つというのは、ポール・マッカートニーが作ったリバプールの「LIPA」(Liverpool Institute of Performance Art)と、もう1つは我が尊敬するスティーヴ・ヴァイ先生(^^)の通っていらした「バークリー音楽院」(Berklee College of Music)。その頃はもうインターネットぐらいは出来たから、ホームページのあったバークリーの方へはガンガンアクセス。最初はスペルがわかんなくって困ったけど。^^ 最初は単なる好奇心でしかなかった留学も、時が進むにつれてだんだん頭の中で具体化していきました。ちょうどそんな頃、バークリーサマーセッションの話を、例のドラマーさんから聞いたわけです。あらためてバークリーにメールを送って資料を請求すると、学費も手ごろ、しかも泊まるとこも割と安く提供してくれるらしい。おまけにテープを送って審査に通れば、奨学金も出すって言うじゃありませんか。まぁ奨学金は無理としても、総額650ドル(1ドル120円に換算すると8万円くらい?)は、頑張ればどうにかなる金額じゃん。お金を貯めていつかはフルタイムで留学したいという気持はあったけれど、なにせ借金地獄だし、いつになったらお金が貯まるやら見当もつかない。だったらこういう機会にちょっとバークリーを見に行っておいて、もし気に入ったらそれからまたお金を貯めて頑張ろうって気にもなるだろうし、気に入らなかったら留学はやめればいい。おお、これはグッドアイディア!(死語^^)いっとこいっとこ。(^^) |
学生証って、返すときちょっと寂しい気持になった。君も来年の春にはそうなると思うけど。^^ 俺は学生証を返して以来、写真入りの身分証明書を持っていませんでした。別にそれで困ったことはなかったんだけどね。パスポートを作るときに、「やっと写真入りの身分証明書ができる!」と思ってさ。ちょっとした感慨がありましたな。でもあんなにめんどくさいとは思わなかったなぁ…。なんだかんだで、最初に作ろうと思った日から2ヶ月くらいかかったよ。自分の戸籍抄本というものをはじめて見た。あと、印鑑登録とか、何か、社会人になった気がした。
次はビザかぁ?と思ったんだが、どこで手に入れていいか分からず、アメリカ大使館のホームページとか見たんだけど全然わからなくって、(電話までしたのに…)直前までどうしようかって悩んでたら、別件でバークリーの人から電話が来て、「90日以内だったらビザはいらないんだよ。」そうなんすか。(*_* はじめはあんまり考えてなかったのに、後になって最大の問題になったのが、航空券の問題。10万くらいかなぁ。ちょっと高いけどまぁ何とかなるか。と思っていたら、どこの旅行会社にきいても航空会社に連絡しても、17万〜20万円。(\_\)! 「繁忙期ですからねぇ。1ヶ月後だったら半分くらいになるんですけどねぇ。」 「はぁ………(t_t;。」 トホホ…。こりゃだめだぁ。 そんな7月のある日。電子メール書いてたりして夜遅く(というか早朝5時くらいだったかな?)もう寝よっと思っていた頃、電話。 「もしもし。」 "Hello!" 「は?」 "This is Berklee College Of Music." (もう行かないって決めちゃったよ。何の用だ。)「え、と、何すか?」 「あなたに175ドルの奨学金がおります。残りの学費を送ってください。」 「へ?!」 「奨学金です。175ドル。」 「うそー?!サンキューサンキュー。サンキューベリマッチ。」 175ドルって…、いくらなんだろ。すごいんだろうか…。とりあえず、喜ぼう。^^ ―ちなみにその頃はだいたい1ドル116円くらいだったので、175ドルは、約20300円でした。ま、もらえただけよかったけど、それほど大騒ぎする額でもないですなぁ。^^;ただ、その奨学金のおかげで新しい出会いもあったんだけどね。それはあとで書きます。― でも旅費が高いしなぁ。 どうしよ……。………………親、かぁ……。 その手だけは使いたくないんだけど……。でも奨学金もったいないしなぁ。 …………………………………………結局親に泣き付いた。 すまねぇ。とうちゃん、かぁちゃん。(&新婚の妹)金はきっと返すからさ。 出発の約2週間前、ようやく渡航決定。やっとアメリカだぜ。 |
目次を見て「IとIIは続いてんのになんでVIIは前後編に分かれてんだ?」と思った方。ごもっとも。長さの都合でそうなっとります。まぁその辺はあまり気にせず(^_^。では引き続きIIをどうぞ。 |
II.初めてのことばかり |
エコノミークラスの席って、なんであんなにせめーんだぁ。(-_-メ)うげー。死ぬ。窓側の席で外が見れるのはいいけど、トイレに行くとき気、使うし。(大学の教室みたいに中に入っちゃってから廊下側の席に人が座ると出られない椅子を想像してください。)だいいち外っつっても、海だろー。いや。その上に雲がある。もう行けども行けども雲ばっか。機内アナウンスは速くてさっぱりわかんないし。日本の飛行機の英語アナウンスはわかったのにー。やっぱり普通のアメリカ人はあんなにゆっくり話さないのね。トホホ。シカゴまで約15時間。殆ど眠れなかった。(ボストン直行便というのはないので、シカゴまで行って乗り換えです。)
やっとついたぜ。United States! でけーぜミシガン湖。シカゴ、オヘア空港は新しくってきれい。アメリカっていうとなんか汚いイメージだったけど(偏見)、意外にそうでもないじゃん。入国審査は予想通り長蛇の列。でも手続き自体は思ったほどめんどくさくなくてよかった。ところで小さい頃とか、迷子ってなったことある?ちなみに俺はちょろちょろしてたから、わりとしょっちゅう迷子になったんだけど、あの、気がついたら周りに知ってる人がだれもいなくなっていて、急に不安が襲ってくる感じ、今回久々に味わいました。オヘア空港は国際線と国内線のターミナルが別々になっていて、乗り換えにはモノレールを使うんだけど、そのモノレールを降りたあたりから急に回りに日本人がいなくなって、「ま、アメリカなんだから別に日本人いなくっても不思議はないじゃん。」と思ってたんだけど…。国内線の搭乗手続きをしなきゃと思って列に並んだら、ずいぶん時間がかかっちゃって、やっと自分の番になったら、係の人が、 「もうあなたの搭乗手続きは(日本で)終ってます。別にすることはありません。」だって。そんなら最初から言ってくれー。(;_; しかも 「あと10分で飛行機、出ちゃいますよ。」 (*_*+ガーン。それだ。それを一番最初に言え!うぉぉぉぉぉ。急げー!!! 猛ダッシュで行ったらそこには金属探知器。 「ビビーー。」 うっそー。こんな時に限って…。アメリカってやっぱこういうの厳しいのね。ガードマンのカッコをした黒人のおばちゃん(ウーピーゴールドバーグにそっくり。黒人なんてあんまり見なれてないからちょっと小太りなおばちゃんだと見んなウーピーゴールドバーグに見える。ちなみにスラッと背の高い黒人の女の人はみんなホイットニーヒューストンに見えた。まぁみんなそんなもんか。(^_^;) “Hey, you may have some bad reason!”(と俺には聞こえた。) 「ノーノー。アイハブナッシングライクザット。」 弁解もむなしく持っていた鞄の中身を全て出され、横のポケットにまで手、突っ込まれた。(銃なんて持ってないよぉ…。) 「アイハブノータイム。マイプレインイズリービング!!」 「このまま乗り遅れてシカゴに取り残されたらどうなっちゃうんだろ。ギターや他の荷物はそのまんまボストンに行っちゃうなぁ。それよりシカゴでどうやって生きていくんだ?俺の人生は…?」めちゃめちゃ気の小さいオイラ。こういう時って一瞬、人生走馬灯のように駈け巡るんだよなぁ。頭ん中。(t_tヽ “Oh! That's it!” と言っておばちゃんの取り出したのは、「向こうは電圧が違うから、エフェクターやチューナーやCDのためにいっぱい買ってこう。」と思って持っていった、何と、電池でした。電池って金属探知器引っかかるんだぁ。そうか。「バッドリーズン」って聞こえたのは「バッテリー」って言ってたんだぁ。などと安堵している暇はない。離陸まで残り時間2分。待てぇー飛行機! 何とか乗れた。ラッキー。^^と思ったらそれから1時間。待てど暮らせど飛行機は飛ばないじゃあーりませんか。マジかいおい。走って損したじゃねーか。ところでアメリカの国内線は(少なくとも俺の乗ったノースウェスト航空では)スチュワーデスはあまりいなくて、ほとんどが男でした。スチュワードっていうのか?いや、スチュワーデスは確か和製英語(?)だから、キャビンアテンダントとかだろ。おっさんがオレンジジュース配ってんのははっきり言ってちょっと気持ち悪かったけど。そんなこんなでやっとついたぜボストン、ローガン空港。成田を出たのが8月16日の16:30、ローガンについたのが同じ8月16日の19:45。ちょっと得した気分だけど、日本に帰るとき損するんだからいっしょか。でも日本で生まれてアメリカで死ねば、1日得したことになるのかなぁ。さ、アホなこと考えてないでバークリーに電話しよ。 ここまでノー天気に来たけど、急に不安になってきた。というのは、バークリーから、学費納入の確認や、寮の部屋の予約の確認が何も来ていなかったからです。アメリカじゃそれが普通なのかなぁ。でももし何にも手続きされてなかったら、わざわざボストンまで来ちゃってどうしよ?1週間何して過ごせばいいんだ?だいいち宿と飯は?金なんてちょっとしかもってきてないし…。考えるほど不安だから飛行機に乗ってる間は考えないようにしてたが、ここへきて急にキンチョウしてきた。どっきんどっきん…。そういや電話ってどうやってかけるんだ?25セント…。30円か?(注、今回の旅行に持ってった金は成田で両替したんだけど、その時のレートが手数料込みで1ドル120円だったので、この話の中では全てそのレートで話が進みます。)たけーなぁ。(ちなみにアメリカのコインは1セント、5セント、10セントと25セントの4種類があって、公衆電話には確か1セント以外だったらどれでも使えるのですが、何も知らないオイラはこの時25の文字しか見えなかったのです。おバカ。)何回か失敗したあとようやくつながりました。「ぷー。」おお。アメリカの公衆電話の音だ。 “Hello, Berklee College Of Music.” 「オーハローハローアイケイムフロムジャパンツーユアスクール。ハウキャンアイゴー?」 “Take a taxi, and tell the driver the address 150 Massachusettes Avenue.” 「はぁなるほど。アイシー。センキュー。」 タクシーなら15ドルくらいだな。ガイドブックに載ってた。よし。OK。 …………………………………in the taxi……………………………………… 「ニイちゃんどっから来たんだい?」 「フ、フロムトーキョー。たった今ついたばかりなんです。」 その後はこの運ちゃんのヒスパニック訛りが強すぎて、何を言ってるのやらさっぱり分からん。あげく、携帯電話が鳴って、運ちゃん仕事中なのに話し込んでる。あ、ケンカ始めたぞ。しかもスペイン語で!おいおい。お客乗ってんですけど。(;_;< なんかめちゃめちゃエキサイトしてんぞ。この人だいじょぶなんだろうか?マフィアとかだったらどうしよ…。(T_T; あ、電話切った。終ったのかな?ケンカ。また話し掛けてきた。にこやかなのがかえって恐い…。不気味に明るい口調と、ヒスパニック訛りの英語に苦労しながらも、なんとか世間話で持たせていると…。 「ついたぜ兄ちゃん。ここがマサチューセッツアベニュー150番地だ。」 「サンキュー。いくらですか?」 「22ドルだ。領収書、いるかい?」 料金メーターにはどう見ても17って書いてるんだけどなぁ。あ、そうか。途中有料道路通ったんだっけ。でもガイドブックには確かに15ドルくらいって書いてあったぞ?それにチップも払わなきゃなんないから実際には2ドル足して24ドルだよな。荷物多いし。取りあえずこのマッチョなヒスパニックのおっさん、怒らせると恐そうだから24ドル払っとこう。さっきの喧嘩も見てるし。するとおっさんさらににこにこして(気持ちわりー)“Thank you! Have a nice stay!”だって。調子いいぜおやじ。(後からガイドブック見たら、タクシー業者の中には最初からチップを含んだ料金を請求してくるとこともあるらしい。そうか。そういうことだったのか!うえぇ。損した。;_;) …………………………………… taxi end ……………………………………… さて、後ろを振り向くと、おお、ここがバークリーか。とりあえず入ってみよ。受け付けには池袋や渋谷にある、大学生御用達のやっすいリハーサルスタジオの兄ちゃんのような人が態度悪そーにふんぞり返っている。こいつバイトなのかなぁ。 「あのー、日本から来たんですけどー…。ボクの名前ちゃんとありますかぁ?」 “Your room is 602.” 「サンキュー。」 よがっだー。ちゃんと手続きされてたんだー。ほっ。^^(ちなみに手続き確認の書類は郵便事故で届かなかったらしい。日本に帰ってきて2週間くらいしてから、間抜けにも届いてきやがった。いい加減にしやがれ。バークリー。?日本の郵政省か?)部屋は二人部屋だけど、きっと俺の方が着いたの先だろう。と思ってノックもせずに入ったら、思いっきり先客がいた。うわ。ごめんなさい。しかもシャワー浴びた直後でパンツ一丁。オーマイガー!! “Hello, my name is Gregg.^^” にこやかな笑顔で挨拶したそのマッチョな男が、これから1週間のルームメイトとなる、グレッグ・ウェンドランド(30歳(ぐらいだと思う)職業:薬剤師、オレゴン州セーラム出身、好きなバンド、ドリームシアター(プログレ、メタル)。)でありました。 |
つづく |