VII(後編)―プロのミュージシャンって…― 最後のミッションを終えたら今度はライブ!『バークリー・パフォーマンス・センター』はちょうど「なんとか区民会館」みたいなホールを想像していただけると一番近い、500人ほどのホールです。楽屋では大勢のガキやニィちゃんやオヤジどもがギターを持ってチキチキチキチキ弾いています。知っている曲が聞こえるとそこへギターを持っていって「へー、その曲やるんだ!一緒に弾こ!」と乱入。チョっと嫌がられる。(^_^; チューニングやウォーミングアップの間にパチパチ写真なんかとってまるで観光気分。出番はまだかー。2時間も待つらしい。その間退屈だなぁ。そうこうするうちにベースのジョーが登場。今日のライブは彼と一緒にステージに立つのだ。 「ちぃーっす。」 とは言わなかったけど…。^^; これはチャンスだ。前にも書いたけどジョーはCDも出してるプロのベーシスト。しかもバカテク。何でもいいから話してみたい。そういう風に考えると緊張しちゃって話し掛けられない…。どうしよ…。1時間ほど迷った挙げ句、やっと声をかける。 「あ、あのー…。」 「よう!調子はどうだい?」 「あ、いいです。CD聴きました。よかったです。^_^;」 「そうかい、今度新しいのが出るぜ。キーボーディストが加入して、今までとは全然違う音になるから、楽しみにしててくれ。」 「あ。ハイ。」 そうじゃなくって、もっと普通じゃ聞けない事を聞こう! 「ジョーはどうやってプロになったんですか?バークリーにいたんでしょ?」 「バークリーには2年いた。最初は4年間いるつもりだったけど、途中から仕事をするようになったからね。ボストンでバンド活動をやっているうちに横のつながりができて、クラブやなんかの仕事をするようになった。そのうち、音楽をやるならやっぱりニューヨークだと思ってNYへ移ったのさ。その時NYの音楽業界で知ってる人はたったの2人だったけどね。最初にやった仕事はジングル(テレビやラジオの番組でコマーシャルの前後にかかる短い音楽。今ふうに言うと「サウンドステッカー」って言うのかな?)だったよ。そうこうするうちにコネクションが広がって、仕事も入ってくるようになった。」 「へー。(お、いい感じいい感じ^_^)ジョーは結婚してるんですか?」 「してるよ。バークリーにいたときにした。」 「学生結婚?」 「そう。バークリーをやめるときにはもう子供もいた。NYで2人目ができたね。」 「うっそー!めちゃめちゃ大変じゃありませんでした?」 「大変だったよ。借金だらけさ。カミさんにも苦労をかけた。」 「今はバークリーで講師をしてるんでしょ?NYからボストンに戻ったのはなぜですか?」 「バークリーで教えてみないかと声がかかったのさ。もともと個人レッスンなんかはしてたからね。」 「ジョン フィンのバンドに入ったのはどういう経緯からですか?」 「ジョンがボストンの地元紙にメンバー募集の広告を出して、俺がそれに乗ったというわけさ。」 「なるほど。それで今はジョン・フィン・グループのパーマネント・メンバーというわけですね。」 「確かにパーマネントではあるけど、ジョン・フィン・グループだけやってるわけじゃない。実際今週だって、月曜にジャズのバンドでプレイし、火曜日はポップス、水曜日は君たちが見たヴィニー・ムーア&ジョン・フィン・グループのライブでプレイした。木曜日はブルース、そして今日、金曜日は君たちと一緒にステージに立ったあと、夜はスタンダードをプレイする。」 うっそー。すげー。やっぱ大変そー。 「てことは、ライブに行ってからどの曲をやるか知らされる事もあるんですか?初見で譜面読んだり。」 「あるよ。スタンダードやジャズだったら知ってる曲が多いし、ブルースだったらパターンが決まってる。それ以外はチャート(=コード表?)か譜面だな。もちろん初見だってあるよ。」 ひぇー(~。~ 「ぼく譜面読むの苦手なんです。初見なんて聞いただけでもビビっちゃいます。どうしたら読めるようになるんですか。一応練習はやってるんですけど…。」 「毎日やった?」 ズキーン!この“Did it everyday?” というセリフはいまだに心に響いてるなぁ。 「い、いえ。毎日というわけでは…。^_^;;;;;」 「毎日やるんだ。知ってる曲と知らない曲を交互に読むようにしていったらいい。楽譜はピアノのものでもバイオリンのものでも、何でもかまわないから。」 「ハイ。毎日やります。」(最近サボってる。またやんなきゃ。) 「音楽で飯を食うってのは大変だよ。俺なんか今でも借金だらけさ。でも、自分が本当にやりたいと思ったら、どんなことをしてもやり遂げることだ。その気持を持ち続けるんだよ。」 あ、なんか感動。(;_; がんばりまーっす。 そうこうするうちにライブが始まり、終わった。 久しぶりで緊張しまくった。あがりまくって全然思うように弾けなかったので、ロビン先生に聞いてみた。 「ステージであがらないためにはどうすればいいんでしょう?」 「そりゃあ誰だってあがるわよー。あたしだって1曲目の途中まではガチガチだったんだから。(ちなみに先生もバンドのメンバーとして一緒にステージに立った。)慣れるしかないのよ。場数を踏んで。あたしもクラブで演奏し始めた頃は大変だったわ。何回も出るようになってようやくまともに演奏できるようになったのよ。あと、レコーディングのときあがっちゃって手が動かないっていうんだったら、家で練習するときも4トラに録音するとか、録音するという状況に慣れることね。」 場数かぁ。そういえば人前でやる回数、減ったよなー…。 出番が終わって後片付けをしたあと、楽屋を出て客席に行くと、そこにはトモ・フジタが待っていた。 「見とったよ。なかなかええやん。」 「ひぇ〜^^;;。」 となりにいた外人も(こっちが外人じゃ。) “Wah-pedal cool!”(本番ではワウペダルをグニグニ踏みまくってたから(^_^;。) 「いやぁ。勘弁して下さいよー…。」 そうこうするうちにエンディングです。ロビン先生と最後の別れ。 「サンキュー、ロビン。電子メール、出しますからね。;_;」 こうしてバークリー・サマー・ギター・セッションのプログラムは閉幕しました。 夕方。カフェテリアで最後の晩餐です。つっても別にいつもと変わらない、ただの夕飯。だけど、なごりおしいなぁ、食べ放題。このカフェテリアの人たちがまたいい人でね。おばちゃん達はもうみんなウーピーなの。いつ行っても “Hi, guys! May I help you!” ってでっけー声で迎えてくれるし 「ちょっと多めにしてね。」 って言うと山盛りくれるし。 おかげで毎食動けなくなるほど食った。 当然、フトった。(^_^; 最後の方(3日目か4日目)になってやっと気付いたんだけど、どうやらおれは東洋人であることと、その割にかなり大食いだという事で、カフェテリアのスタッフに顔を覚えられてしまったらしい。確かに、トレーの上にあるものを、まわりで食ってる人たちと比べると、こんなに貧乏くさくあれこれのっけてる人は俺くらいだった。いつもは大食いじゃないくせに。^_^; で、その最後の日の夕飯を食い終わったあと、とうとうスタッフの一人、黒人の兄ちゃんに話し掛けられてしまった。 「また秋に会えるのを楽しみに待ってるぜ!」 友達みたいに言ってくれたので、とっても嬉しかったんだけど、きっともう来れないだろうなーと思っていた俺は、 “Maybe.” と答えるしかなかったんだなぁ。寂しいけど。 夜。グレッグとの別れの盃(大げさ^^;)を交わすために、酒屋にビールを買いに行きました。そこで初めて実感するアメリカ人のアルコール観。(?)知ってるかもしれないけど、アメリカでは酒を買うときに身分証明書が必要なのです!話には聞いていたけど、やっぱりそのとおりだった。“Sex, Drug & Rock'n'Roll”なんて言葉があるくらいだから、実は酒買うぐらい何てことないのかと思ったらグレッグが 「IDカード持ってった方がいいよ。」 っていうから、言われたとおりパスポート持ってったら、やっぱり見せろって言われちゃった。俺童顔だからかなぁと思ったら、明らかに老け顔のグレッグもおんなじように免許証見せてた。そういうとこはちゃんとしてるなぁ。グレッグも酒に関しては楽観的ではなくって、酒飲みながらステージに立つギタリストの話したら 「子供たちのためによくないよ。」 ってちょっと怒ってた。イングヴェイ マルムスティーンが飲酒運転で事故って危うく死にかけた話を引き合いに出して、 「酒のせいで僕たちは偉大なギタリストを失うところだった。」 何でも楽観的なのがアメリカ人だと思ったら、そうでもないみたい。 それだけアメリカではアルコールの問題が深刻なんだろうね。 (個人的にはイングヴェイは別にいなくてもとも思うのだが…。あ、ごめん。^_^;>ファンの人) でもボストンの地ビールうまかった!1週間ぶりの酒で簡単に酔っぱらってしまった。 「グレッグ、1週間ありがとう。日本に帰ったらEメール出すよ。」 電子メールアドレスの交換をする。最後に“.com”のついたアドレスの友達は初めてだ。 翌朝5時に起きて部屋を出る。グレッグを起こさないようにそーっとドアを開けたのに、築50年の古いドアは「ギギーッ。」とものすごい音を立てて彼を起こした。 「あ、ごめんねグレッグ。起こしちゃったか。」 「これでお別れだね。君といっしょの部屋になれてよかったよ。」 “Good Luck!” 感動的なグレッグとの別れ。 朝のボストンを通り過ぎてタクシーはローガン空港へ。しかし空港でまたハプニングが。 “Your flight has been canceled.” 「は?!」 「キャンセル」って言ってたみたいだけど…。別におれはキャンセルなんてしてないぞ。ちゃんと72時間前に予約の再確認もしたし。もう1回聞いてみよう。 “Your flight has been canceled. Due to the mechanical trouble.” 「要するに飛行機が飛ばなくなったって事? え゙ー!!じゃぁ帰れないの?!」 おいおい頼むぜノースウェスト航空。こんなところで路頭に迷いたくないぜ。 「だいじょうぶ。当初の予定ではボストンからミネアポリスに飛び、そこから成田へ向かう事になっていましたが、ミネアポリスへはデトロイト経由で行っていただきます。成田行きの飛行機は予定通りのフライトです。ミネアポリスまでのスケジュールは時間的にちょっと忙しくなりそうですが、だいじょうぶ、何とか間に合います。^^」 行きの飛行機もシカゴからここまでは1時間半も遅れたし、アメリカの国内便っていい加減なのかなぁ。 でも受け付けのおっさんは至って呑気。(そう。おねぇさんじゃなくっておっさんなんだ、ここでも。)
「そのギターはレスポールだね。いいギターだ。」
さ、さんきゅー。
そんなこんなでスケジュールはキツキツになってしまった。とりあえずお土産買わなくちゃなんて思ってうろうろしてると、
“Hi!”
奨学金のパーティーで知り合った生意気な美少年ジャズギタリスト、チェン少年である。
「おー。おめーもこれから帰るのか。イスラエルだっけ?」
「ああ、そうさ。でもまたバークリーに戻ってくるぜ。そのときまた会おうな。」
(余談だが今回のセッションでチェンはフルタイムの奨学金をもらった。要するに1年間ただでバークリーで学べるというわけ。すげー。)
「おう。それじゃぁ元気でな。」
また会いたいなぁ。
その時ヤツはグレイトなギタリストになっているだろうか。
でもそれから一週間後、イスラエルでかなり大規模な爆弾テロが起こったというニュースをテレビで見た。無事だといいんだけど…。
ボストンの次はデトロイト!ボストンでえらいバンドがエアロスミスなら、デトロイトはキッスの「デトロイト・ロックシティ」でしょう。それにデトロイトといえばモータウン。空港にそういうお土産でも置いてないかなぁと思ったら、ボストンでおっちゃんに言われたとおり、ほんとに時間なかった。一生に1度行ったデトロイトの思い出は、ただ走っただけ。しかも空港の中。も1回行きたいものだ。
日本への直行便が出ているミネアポリス空港は、もうほとんど日本。日本人とアメリカ人の数は半々ぐらいに思えた。韓国とか、アジアの人も多かったな。なんか興醒めー。だって案内板も英語の下に日本語書いてんだもん。きっとハワイってこんな感じなんだろうな。でも面白いもんを発見した。アイスクリームの自動販売機。UFOキャッチャーみたいなの。でも中味はあんなにごちゃごちゃ置いてあるんじゃなくってちゃんとアイスクリーム(四角い)が種類別に列になって並んでんの。しかもUFOキャッチャーみたいに自分でマジックハンドを動かして取るんじゃないよ。普通の自動販売機とおんなじでボタン押すだけで機械が自分で選んくれるの。その取り方がすごい。お金を入れてぴっとボタンを押すと、上にあるマジックハンドみたいなのが動き出して選んだアイスクリームの上へ。でもマジックハンドはついてないのね。どうやって取るんだろう。そしたらいきなり「ずおぉぉぉー」とものすごい音。何と、掃除機みたいにアイスクリームを吸い上げてそのまま出口へ。「ひゆゅゅーん」と音が止んだかと思うと、「ぽとり」アイスクリームが出口に落とされるという仕掛け。すごい!感動してしまった。よく小さい頃掃除機でもの吸い上げて、「ほらー、落ちないよー。」とか言って遊んで叱られませんでした?日本でもあれやったら受けると思うけどな。
後はほんとに海外旅行のお決まりのコース。免税店(別に安くないよね。元々高いもんばっか売ってんだもん。酒とか宝石とか時計とか。)でさんざっぱらお土産を買って、(といっても貧乏旅行なのでそんなに高いもんは買えない。)バカンスを満喫したと思われるほかの日本人たち(みんなアホづらしてんだよなーこれが。OL3人組とかね。あ、俺もかぁ。)と一緒に、スチュワーデスだけ外人の国内便のような成田行きの飛行機に乗って帰ってきました。ほんとに興醒め。飛び立つときは、「今度はいったいいつ来れるんだろう?」って、とても寂しかったけど。飛行機の中で上映してたデンゼル・ワシントン(うちのジイさんに似ている)の『クリムゾン・タイド』は面白かったからよかったけどね。
霞ケ浦をミシガン湖と比べると、どうしても引けを取ってしまうように感じるのだが、霞ケ浦もいい湖だよね。ちゃんと地図と同じ形に見えたよ。当たり前か。出国の時や、アメリカの入国審査に比べると帰りはずいぶんと簡単だったなぁ。麻薬犬とか出てくんのかなぁと思ったら何にもなかった。
それにしても海外旅行に行く日本人って、どうしてあんなに無礼で頭悪そうなんだろ。ミネアポリスから成田までずーっとそんな場面ばっかり。おっと。説教じじいみたいになってしまった。
バークリーの土産話はひとまずこのへんでおしまい。長々と付き合ってくれてどうもありがとう。
今回のボストン行きはほんとうに、いろいろなことを思うことができて、貴重な体験でした。また行きたいとも思っています。でもバークリーがほんとに俺にとって必要なのか?アメリカで音楽をやることが一番よい方法なのかについては、今はかなり「?」です。
その辺の話や、あと話の流れで書ききれなかったエピソードなんかもまだあるので、(そう。この期におよんでまだある。)もう1回だけ「ボストン・番外編」を書こうかなと思ってます。
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ではひとまず、おしまい。 |