VII(前編)―最後のミッション―
金曜日の朝。今日はバンドのライブの日です。バンド数があまりに多いため、一つのバンドの持ち時間は少なく、しかも3つの会場に分かれて行われます。うちらのバンドはなんと、一番広い“Berklee Performance Center”でライブをやることになりました。午前中にロビン先生と最後のリハーサル。 「集合は正午、BPCね。遅れないでよ。」 「はーい。」 そう言って愛しのロビン(^_^;)としばしの別れを告げたあと、俺は自分に残された最後のミッションを実行に移す決心をした。 なにかって? いやそれはもう超重要な事。ミーハーなボクとしてはこのためにわざわざ20万の交通費払って地球の裏側へ来たって感じの超重要な目的です。 それは、スティーヴ・ヴァイについて調べる事! そんなもんかぁ?そうです。そんなもんです。(^_^; 彼はいつこのバークリーの生徒だったのか?どんな学生だったのか?どうやったらああなれるんだろう。きっと知っている人がいるはずだ。もしかしたら図書館あたりに資料が残ってるかもしれない。それはもうミーハー根性丸出しの日本人。直接学部長と副学部長(ラリーとリック)の部屋へ。 「夕べのパーティーで会ってるから顔くらいは覚えてるだろ。」 副学部長リックの部屋から2人の声が聞こえてきたので、そちらの部屋をノックする。(ちなみに2人の部屋は隣同士。しかも見たとこ、2人はとっても仲良しらしい。) 出てきたのはリック。はげ頭でかなり背はでかい。(でもギターは超うまい。書き忘れたけどラリーもリックもこのサマーセッションの間にライブをやっている。ふたりともビビるほどうまい。) “Hello, can you tell me about Steve Vai?” “?” いきなり怪訝な顔をするおやじ、リック。 「いつバークリーを卒業したか、何を学んでいたかとか、どんなことでもいいですから教えてください。」 「うーむ。彼がバークリーにいたのはもう10年以上も前だろう。その頃とはスタッフも代わっているからねぇ。それに彼は確か卒業はしてないはずだよ。そうだったよな、ラリー?」 ラリー、うなずく。 「1年か2年いて、その後すぐフランク・ザッパのとこへ行ったからね。あぁそうだ、彼が在学中に使った教科書を教えてやろう。それならここにある。」 キョウカショお?そうかぁ。やっぱりだめかぁ。 せめて使った教科書だけでも見てかえろっと。 (ちなみに後で知ったんだけど、リック先生はそういうテキストとか楽典の事は専門中の専門らしい。) するとギターの練習をしていたラリー先生が思い出したように… 「彼なら知ってるかもしれんぞ。」 おお。神の助け。 「マーク・スモールといって、バークリーで出してる雑誌“Berklee Today”(注)の編集者だ。4年ほど前にスティーヴ ヴァイの特集を組んだとき、確か彼はスティーヴに実際に会ってインタビューしてるはずだよ。連絡を取ってみよう。」 おお!だんだんいい感じになってきたぞ。 |
(注)“Berklee Today” |
バークリーが季節ごとに出してる機関誌。ちょっとした音楽誌にも引けを取らないほど内容は充実している。タワーレコードの“bounce”みたいな感じのものを思い浮かべてくれれば近いかな? |
ラリーがマークに連絡している間に、リックの教科書談議が展開する。 「ああ、あったあった。これだこれだ。」といって引き出しから取り出した古ーい、表紙のすすけた本。 「『コードの化学。』(Chord Chemistry)どのページをめくってみても、コード、コード、コードだ。そしてこのテキストを書いた人がバークリーの学生だったときに使ったのはこっちのテキスト。」 なんでそんなとこまで知ってんだろう?びびりまくるオイラ。 「スティーヴはすばらしいギタリストだね。アルバムを出すたびに成長する。G3のライブアルバム(注)は買ったかね。あのアルバムもほんとうにすばらしい。」 |
(注)G3のライブアルバム |
G3=ジョー サトリアーニの呼びかけでスティーヴ ヴァイ、エリック ジョンソンと彼の3人がジョイント・コンサートという形でツアーをまわった企画。そのライブアルバムが春ぐらいに発売された。 |
話がかわったかと思うと、いきなリリックじじいがヴァイをほめた。この辺がバークリーの先生たちのすごいとこだって俺は思う。日本で俺が行ってたギタースクールの講師は、自分が好きなジャンルの人以外は絶対認めないという人たちばかりだった。彼らにとっては「正しい音楽」と「正しくない音楽」というのが歴然としていて(少なくとも俺にはそうとしか思えなかった。)「正しくない音楽」は徹底的に批判するし、そういう音楽を生徒達が聴くのもあまり快く思わなかった。この事を彼らに言うと「そんなことはない。」というかもしれないけど、レッスンの最中や、個人的に話をしたとき、それは言葉の端々に現れてたし、実際におれも批判された。RCを「あんなの」って言われたときは、「おめぇらはその、あんなの以下だろうよ。」って思ったけど。 そういえば理論のチャーリー先生(彼もリックやラリーと一緒でバリバリのジャズマン)もジョン フィンをほめてこんなふうに言ってた。 「特にジョン フィンは大好きだ。彼らと俺はスタイルは全く違うし、俺はああいったスタイルで弾こうとも思わない。しかしそれぞれのスタイルを認めあうことはとても大切な事だ。」 アメリカのジャズメン、かっこいー^^。と思っているとラリーが、 「連絡がとれたぞ。マーク スモールはこの建物の6階、『バークリー・トゥデイ』の編集室にいる。」 わーい。やったやったー。^_^/ 「どうもありがとうございまーす。早速行ってみまーす。」 「『コードの化学』も忘れるなよ。」とリック。 「はーい。」 早速編集室に行ってみる。黒人の女事務員(この人はウーピーというよりはホイットニー ヒューストンという感じのスリムな若い人だった。どうでもいいけどこないだウーピー ゴールドバーグの『エディー』を見たら、やっぱりイメージ通りだった。アメリカは、というか少なくともボストンは、あんな感じの、声のデカいファンキーな黒人のおばちゃんがいっぱい。)に案内されて中へ入ると、スモールなのに背の高い、ちょっと白髪混じりのダンディー(?)なおじさんが出てきた。 “Hello, my name is Mark Small.” 目を見て握手!(o_o)/ミヒラク (そうそう。英会話のジュギョウを思い出して) 「あのぉ。スティーヴ ヴァイの事知りたいんですけど…。」 「ラリーから聞いてるよ。資料が用意してある。こっちへおいで。」 通されたのはマックが「ででん」といばっている近代てきーな感じのする彼の部屋。『バークリー・トゥデイ』がおいてある。1993年秋の号。表紙はもちろんスティーヴ ヴァイ。ちょうど"Sex & Religion"のアルバムを出した直後だな。 「スティーヴがバークリーにいたのは1979年の秋から3ターム。つまり1年半だ。その後彼はフランク ザッパのツアーに出ている。このバークリー・トゥデイでは私がインタビューを担当した。これは君にあげよう。帰って読むといい。それから、ここに彼がバークリーに在籍していたときの成績表のコピーがある。成績そのものを見せてやることはできないが、彼がどんな科目をとってたかぐらいはわかるよ。見るかね。」 え゛え゛え゛え゛え゛ーーーー!!!!*_*/ まじっすか?そんなもんが? おお。確かにあったあった、3ターム分で3枚の成績表。成績の方は隠されててわかんなかったけど、ちゃんとFreshman(1年生)から順番にあった。世紀の奇才、スティーヴ ヴァイも、最初は「Freshman Theory」とか「Freshman Ear Training」とか、要するに初級編から始めたんだなぁ。後でグレッグに見せたら、「そう考えるとちょっと安心だよね。」だって。いやほんと。でもそれで1年半後にフランク ザッパ バンドかぁ。やっぱすごい。 「あ、あ、ありがとうございます。なんてお礼を言っていいか…。」 「彼が作ったリズムのテキストもあるが、それも見るかい?」 ほへー!!やっぱバークリー来てよかったぁ(;_;) “Tempo Mental”と題されたそのテキストは彼がプロになってから書かれたもので、連符とか、ポリリズム(例えば、ほんとは4拍子なのに3拍子として感じるとか、すごいのになると7拍子を5拍子で感じるっていうのもあった。)、気の遠くなるようなめんどくさいリズムを、どうやって体で感じるかという話が中心。マジすごい。 「よかったらこれコピーしてあげようか?」 うれしすぎるー!!! 「ハイ。ぜ、ぜひお願いしますっ。」 ちなみに「コピーする」って英語で、「xerox」っていうんだね。知らなかった。黒板を写すのは「copy」って言ってたけど。 ヴァイが表紙の「バークリー・トゥデイ」と成績表、それに“Tempo Mental”をお土産にもらってきてしまった。しあわせー。(^_^/(ちなみに“Tempo Mental”はいまだにわかんない。)
〜さてさて、楽しんでくれてますか?このバークリー日記最終回はかなり長いので、ネット上にアップするにあたって前編と後編の2つに別けることにしました。ということで前編はここまでです。引き続き後編をどうぞ。〜
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つづく |