(5/31)今年の5月 好きな季節。でも今年は前半の半月間、東京にいられなかった。北海道の5月って、あんなに寒かったっけ。エゾ山桜が、とてもきれいだった。場所によってはソメイヨシノが植えられているところもあったな。今年二度目のソメイヨシノ。 清志郎の命日5月2日の6日後、清志郎と同じ喉頭がんで、父親が亡くなった。 4月末、ゴールデンウィークが終わるまでは持たないだろうという、主治医の言葉を妹から知らされ、最後に少しでも長く、父親と一緒の時間を持ちたいと思った。ゴールデンウィークに入ったら飛行機代が高くなってとてもチケットが取れない。もちろんその理由も大きかった。毎年5月2日にやってる多摩蘭坂のストリート、3日に予定していたBREATHでの清志郎特集、どちらもキャンセルして、急遽5月1日の夜、LCCで成田から札幌へ向かった。介護に疲れ果てた母親や妹達の心の問題も、とても気がかりだったし。 運が良かったのか、どうだったのか。。。5月2日から7日までの6日間、父親と短い時間を、一緒に過ごすことができた。4日の晩からは一日おきで病室に泊り込んだ。毎日は体力的にちょっと無理だと思ったし、精神的にかなり不安定になっている母親のことも気になったから。6日の夜に泊り込み、明け方いったん家に戻って、夕方また病室を訪れた。かなり弱っていた。いつ状態が急変してもおかしくないと、スタッフのひと。いったん帰宅したが、直後に急変。タクシーで病院へ向かい、23:20から最後の約40分間。 がんは肺に転移していて、もはや呼吸もままならない。やっとの思いで必死に息をする父親に、声をかける以外には何もできない。携帯で家族に電話し、父親の耳元にあててやると、確かに反応し、息を吸い込むが、それもだんだん弱くなって行く。午前零時を迎える前、スタッフのひとが「センセーを呼んできます」。2〜3分、いや、もう少し長かったかもしれない。俺よりもずいぶん若いナリの「センセー」が病室にたどり着いたとき、日付は5月8日に変わっていた。 身支度をするためのスタッフが深夜に呼び出され、仕度を整えた後、葬儀屋、運転手とともに無言の帰宅。祭壇のしつらえや、床の支度で入れ替わり立ち替わり、別のスタッフが自宅を訪れる。明け方、ようやく俺も仮眠を取ることができた。翌朝、檀家になっているお寺のお坊さんがやってきて枕経。遺影の準備や、親類縁者、知己の方々、各方面への電話・メール連絡、地元新聞社の取材などで家族総出で大忙しだった。明けて9日の夜に通夜、10日に葬儀。目まぐるしい3日間。それがすぎると役所や保険などの山のような手続き。香典返しの準備。やっと一息つけたかなというところで、14日に初七日。さらに諸手続きを済ませ、16日に東京へ。 何だか、夢を見ているような、夢の中にいるような半月だった。いや、むしろ、今の方がそうなのかもしれない。 グレッグ・オールマンが亡くなった。アーティストの訃報はいくつもこのサイトで書いたけど、もちろん、友達や伯父さんのことも。父親については、まぁ、最初で最後だ。来月、四十九日でまた帰省の予定。 |
'17年6月の記事へ | '17年4月の記事へ |
エセRockerの独白 | |