VI―新しい友達―
 授業が始まって3日目ともなるとだいぶスケジュールにも慣れてきます。朝起きて飯食って授業を受ける。授業は同じ時間帯で4日間のカリキュラムだから、朝イチはジョン フィン先生の授業で目から鱗を落としまくり、次にチャーリーの授業で譜面と格闘&腕のエクササイズ。昼飯はグレッグと一緒にカフェテリアで食ったあと、午後のアンサンブル。これは木曜日まで4日間続くスケジュールです。

 アンサンブルのロビン先生はジミヘンの大ファンらしく、いつも違うデザインのヘンドリクスTシャツを着ている。金曜日のライブでやる曲はどうやらジェフ ベックの曲らしい。おおそれなら知ってるぞ。火曜日からスタジオに来てくれたリズム体は2人ともバークリーOBで、ベースのジョーとドラムのアンドレアス。ジョーはジョン フィンのバンドのベーシストで、ヴィニー ムーアとのジョイントライブのステージにも立っていました。つまりCDも出してるプロのベーシストと、遊びとはいえおんなじバンドでプレイできるわけだ。おおー。(とはいってもギターばっかり多い、どっかのサークルのギタリストバンドみたいなもんなんだけどね。)ジョーに「昨日の『フリーウェイ ジャム』かっこよかったですよ。」って言ったら「あれはまさにただの『ジャム』さ。適当にジャムっただけだよ。」だって。かっこいー!^^/そんなセリフ吐いてみてー。ジョーは5弦ベースを使っていて、多弦ベースに偏見のある俺としては第一印象は「げ!」だったんだけど、音を聴いてそんなのは吹っ飛んだね。他の4人のわがままな子供たち(みんな高校生)と一緒にバンドやらないといけないのは疲れるけど、でもがんばる。ロビン先生もいるし。^^

 火曜あたりからはずーっと雨続きで、授業が終わると部屋にいることが多くなりました。当然グレッグと一緒にいる時間も増えるんだけど、実は初日以来、徐々にグレッグとの会話が少なくなっていき、水曜日にもなると、けっこうギクシャクしてしまっていました。別に2人とも怒ってるとか性に合わないというわけではないんだけど、なんとなく遠慮しちゃうみたいで。

 最大の理由は言葉だろうなぁ。向こうの言ってることは、ゆっくり言ってもらえれば大体わかるんだけど、こっちの言うことが伝わらないみたい。グレッグはボストンのある東部と自分の住んでいるオレゴン(西部)では全然イントネーションが違って聴き取れないと言っていたけど、ましてや日本人の英語なんてなおさらなんだろうね。「エアロスミス」って言って「え?何スミス?新しいバンド?それ。」って言われたときにゃ、日本帰ろうかと思ったよ。(T_T;俺そんなに発音悪かったかなぁ。ちょっと落ち込みました。でも俺の英語力って、会話に関しては高校の修学旅行で京都に行ったときに生まれて初めて外国人(なぜかスイス人。)と英語で話したとき以来変わってないような気がしてきた…。時差ぼけのせいで夜早いうちに眠くなっちゃって朝の3時ごろに目が覚めるという生活パターンもあって、同じ部屋のくせにグレッグとはほとんど話さないままここまで来ちゃいました。

―グレッグと一緒かぁ。気、使うなぁ。―と思いながら部屋に戻ります。リズムマシンを使って練習なんぞをしていると、

“Hey, what's this!”

話し掛けてきた。また通じないんだろうなぁ…。

でもその日は違いました。

「これはちょっとしたシーケンサーみたいなもんなんだ。簡単なドラムとベースのパターンと、あと2つまで楽器の音が入るんだよ。」

と説明してやると、

“Any original song?”

と言うから、いいよといって聴かせてやると今度は、

“This is my toy.”

 といって自慢のマルチエフェクターを見せて(聴かせて?)くれました。その後は好きなギタリストの話、音楽の話、している仕事の話、初めてのボストンの話、まるでサークルの1年生が合宿に行って仲良くなるかのように話が弾みました。英語が通じなかったのは確かに発音のせいもあったと思うけど、きっとそれよりも思い切って話さなかったからなんだろうね。おっかなびっくり話してたからごにょごにょっとしか聞こえなかったんだと思う、今にしてみれば。普段は薬剤師だけど、ドリームシアターが好きで、ドリームシアターのギタリストの出たバークリーで学びたくてやってきたんだそうな。ごっつい体格とは裏腹に、実にいいやつである。その夜からグレッグとは何とかうちとけてなんでも話せるようになりましたとさ。^^

 ところで俺はアメリカに行くまで(というか今も)、歌の歌詞なんかで聞き覚えのあるアメリカ人の名前、例えばステファニーとかスーとかオリーブとか、そういうのに多少特別な思い入れがあって、やっぱりステファニーは薄幸の美少女でなければならんとか、スーは逆境にも負けぬ頑張り屋でなければならぬとかいう、かなり偏見に近いものを持っていたんだけど…。

―レベッカの『ステファニー』『ボトムライン』『オリーブ』『スーパー ガール』等参照―^^

 いたんですよ、ステファニー。例のジョー スタンプの授業で最初に会って、次の日一緒にジョン フィンの授業に移ったんだけど、………彼女はブルースファンで、ツェッペリンとかジミヘンが好きなんだって。え゛ー?!しかもめがねをかけていてインテリっぽかった。さらに声も低くっておばさんみたいだった!(;_;……違う。これはステファニーじゃない。だめだ。君はステファニーじゃない。はじめて会ったステファニー。イメージはがらがらと音を立てて崩れた…。(T_Tそういう経験、ありません?

さて、そろそろ話を終盤に持っていくことにしましょう。(やっと(^_^;)

 月曜日に授業の時間割をもらったとき、一緒にもう1つ封筒に入った印刷物を、ぼくはもらっていました。英語読むのがめんどくさいっていうのもあって、しばらくほっといたのですが、読んでみるとそれは奨学金をもらった学生に対するメッセージでした。4日目の木曜日、夕方に奨学生のパーティーがあるから来い。写真も撮るからギターを持ってこいというのです。ほー。ところでいったい何人来るんだろ。みんなすごい人ばっかなのかなぁ。とりあえず行ってみよということで木曜日の夕方、前にクラス変更の届け出をした学生ラウンジに行きます。行って見るとそこには学生と思しき人が十数人。それとどう見ても学生じゃないような子供やおばさん達。(どうやら学校関係者の家族らしい。)

「あれ?なんだよー。きみもかぁ。」

 何とアンサンブルのクラスで一緒のガキどもが2人も来てた。何だそうか。一応全員のなかで20人くらいって言ってたけど、その20人も大した事ねぇなぁ。なぁ〜んて。^^でもその外にもいろいろいた。前にも書いたかもしれないけど、カナダのハリファクスから来たというデブの黒人のおっさんもここで知りあいました。もうひとり忘れられないのがイングランド出身で今はイスラエルに住んでいるというチェン少年。ジャニーズ系の美少年で推定年齢は15〜6歳。部屋の中にあったフェンダー(今回の奨学金のスポンサー)のアンプを指して周りのやつらに講釈をたれはじめる。

「このアンプは真空管じゃない。最新型だな。こっちは真空管だ。俺のセミアコと抜群に相性がいいのさ。」

…生意気そうなガキ!(-_-;…。あ、こっち来た。

“Hi, my name is Chenne.”

「俺の名はCazだ。いいギター持ってんな。」

「見るかい?」とチェン

 15、6のガキがギブソンのセミアコ!くー、なまいきー!おまけにジャズのコースだっちゅーじゃねぇか。でもイスラエルでもギブソン、売ってるんだろうか?

チェン「今度は君のを見せてくれ。」

俺「いいよ。」

チェン「変わったギターだな。ゴールドのパーツは自分でつけたのかい?」

 ちなみにこのとき持ってったギターは昔から使っているナチュラルのレスポールなんだけど、見る人見る人、「変わってるねー。」ちょっと得意^_^

 しばらく待たされたあと学部長のラリー(ジョー スタンプのことをHe is too metalと言ったおっさん)と副学部長のリック、そしてフェンダーのお偉いさんが続いて一人ずつご挨拶。こういうときの英語はほんとになんて言ってるかわからないね。^^;でもフェンダーのお偉いさんの言ったことはちょっとわかった。

「この中で一番遠くから来てる人は誰かね?」

カリフォルニア、イングランド、と何人かが答えたが、最後に俺に順番が回ってきた。

「日本でーす。」

「そうか。君は『トモ・フジタ』にはもう会ったかね?」

―(注)『トモ・フジタ』ヘアヌードで騒動になったあの人とは何の関係もありません。^^バークリーの講師で、ボストンを中心に活動しているファンク・ギタリスト(藤田智久)のことである。―

「ライブは見ました。」

「それはよかった。彼もこの場所に来るから、話をするといい。」

「はーい。」

そうなのか。でもこの前見たライブ、いまイチだったからなぁ。うまかったけど。

 そうこうするうちにパーティー(といってもソフトドリンクとサンドイッチくらいしか食べなかったけど)は終わり。みんなで記念撮影をしてそろそろお開きかというとき、…あ、いた。トモが。

「こんにちはー。この前のライブ見ましたよー。かっこよかったですー。(^^;;;;;)」(一応言っとく)ギターマガジンのコラム(注)読みましたよー。」

  (注)ギターマガジンのコラム

 実はバークリーに行く前から、ぼくはトモ・フジタのことを知っていました。ギターマガジンの確か8月号くらいに別冊で付いてきた「ミュージック・スクール・ガイド」に、「日本からバークリーに行って成功した人」として、彼のコラムが載っていたからです。これからのトモとの会話に出てくることはほとんどそれを読んで得た知識だと思ってください。

「あ、ほんまー?」

今まで英語しゃべってた人がいきなり関西弁で来ると、あせるなぁ。

「CD買うた?」

(その前日のライブの時にCDを売ってたんだけど、その時は…、買わなかったんだっけ。)

「………えーっと、…買えなかったんですよこないだ…。^^;;;」

 成り行きで彼のCD買ってしまった…。せっかくだからいろんなこと聞いちゃえってことで、ちょっとの時間だったけど根掘り葉掘り聞いちゃいました。

「やっぱ大変だったんすか?」

「言葉だねぇ。慣れちゃえばなんでもないんだけど、最初の1年くらいはやっぱり苦労したよ。君もこっちでやるんだったら英語はちゃんと勉強してから来た方がいいよ。あと、ただ卒業したっていうだけじゃ何にもならないからねぇここは。自分から売り込んでいかなきゃ。そのためにも英語が話せるってことは大事だし、積極的にコネを作っていく心構えも必要だねぇ。俺は元々教えるのが好きだったから、在学中からプライベートレッスン持ってて、そこから人間関係を広げていったよ。」

どーでもいいけどよく喋るなこのおっさん。でもいい事聞いた。^^

「日本にはもう帰らないんですか?」

 「うん。奥さんアメリカ人やしね。子供もいるし。グリーンカード(永住許可書)は取ったよ。あ、でもたまに日本にライブやりに行ってるんだよ。その時にレッスンもしてるよ。よかったら君もどう?ファクスとカセットテープを使えばこっち(バークリー)でやってるレッスンの内容を日本にいる君にも教えてあげられるけど…、一応住所と電話番号教えとこうか?」

 というわけでいろいろ教えてもらっちゃった。いい人だったな。アーティストとしては決して売れてる人ではない(CDもほとんどインディーズ)し、苦労してるみたいだったけど、見知らぬ国で0からスタートするというのはそれだけ大変だということだね。その時もフェンダーの人と必死こいて話してたし。

Anyway, thanx Tomo!

 というわけで今日はこれで終わり。おそらく次回でこのバークリー日記も終わると思います(多分)。バークリーではもう1つ重要な最終ミッションが残されていた!(^^)そしてライブ。励ましてくれたプロミュージシャンの話。グレッグとの別れ。帰国時のトラブルなどなど、怒涛の最終回に乞うご期待!(なんか最近毛色変わってきたなぁ、このシリーズ。^_^;)

それじゃぁね。次回は感動の(?)最終かーい!(たぶん;;)

つづく