(5/17)ロックンロール万歳!

   ロニー・ジェイムス・ディオが亡くなったんだそうだ。正式には公表されていないけど、どうやらガンらしい。

   『ジョジョの奇妙な冒険』むかし友達の家で読んだっけ。いや、それはいいとして。

   ニュースなんかに出る情報はだいたいピンぼけ。ま、どうでもいいか。"Hear'n'Aid"が、何と言ってもいちばん印象深い作品、というか、仕事かなぁ。国内盤は出てなかったので、わざわざバスで一時間半もかけて、輸入盤売ってる店まで買いに行ったっけ。高校生。

   You Tubeなんかで見ると、晩年になってもとても雰囲気あって、かっこいいなぁ。

   でもこういう話題ばっかだと、正直せつないなぁ。

   R.I.P. Dio. Long Live Rock'n'Roll!



(5/3)多摩蘭坂で、トリビュート

   おととい下北沢LOFTから帰ってくると、郵便受けに封筒が入っていた。差出人は栗原景子。清志郎の奥さんだ。もちろん個別に俺にあてたものでないのはわかっていたけれど、なんだかご褒美がもらえた気がして嬉しかった。その手紙には、ベイビィズ(清志郎の事務所)にでも問い合わせようかどうしようか、ずっと迷っていたことが書かれていた。「清志郎のお墓が、高尾に完成しました。」

   翌日5月2日、場所がどこにあるかもはっきり分からないのに、とにかく行ってみた。朝、多摩蘭坂に立ち寄った後で。お寺に行ったら、ギターを持ってた俺をみて墓案内のおっさんが「清志郎?車乗んなよ。つれてってやるから。」あっさりつれてってくれた。

   ニュースサイトにも出てたこのお墓、四方を山に囲まれてとても景色のいいところだ。高校時代、授業をさぼって煙草を吸ってた近所のお墓によく似ているなぁ。事務所のスタッフなんだかボランティアなんだかわからない人がずっと詰めてて、ゴールデンウィーク中はずっと交代で番してるんだとか。決して混雑しているという感じではなかったけど、でもひっきりなしに参拝客が訪れていた。景色を見ながらおにぎりを食べた後、「ギター鳴らしていいすか?」と、そのスタッフだかボランティアだかわかんない人にいちおう聞いてみたら、やっぱり断られた。しょうがないから引き上げて、また多摩蘭坂へ向かった。

   昼間多摩蘭坂に行ったときには、若い感じの男の子達が何人かギター持って集まってたけど、お墓から戻ったときには誰も演奏してなくて、おっさん達が酒飲んでた。青山のときにも目にしたおっさんが、やっぱり青山のときにも歌ってた『ヒッピーに捧ぐ』を歌いながら、泣きながら通り過ぎて行った。

   「たまらん坂」の標識のところには、去年と同じ、花がたくさん手向けてあった。昼間はラジオでNHKの清志郎特集がかかっていたけど、スイッチが切ってあったのでまた入れてNHKにしてきた。ノートにちょっとだけ記帳してきた。ちょっと歌って行こうかなぁと思って広めのところに行くと、酒飲んでるおっさん達の一人に声をかけられた。ウッドベース持参のようだ。ちょうどいい、いっしょに演奏してみた。他にもおっさん達が何人か。

   前日のライブと同じセットを二回ほどと、それ以外のすぐに演奏できる曲をだいたい全部。何曲くらいやったかなぁ。日が暮れて真っ暗になった頃、ベースのおっさんが風呂入りたいから帰るというので、その後何曲かやって帰ろうかなぁと一人でやっていると、また別のおっさんが缶コーヒーを差し入れてくれた。お礼がてら5、6曲もやったか、ノドはカラカラ、体はヘトヘトになったので、終わりにさせてもらって帰ってきた。全部で3時間半くらいかなぁ。

   ※近所の人、うるさくしてすいませんでした。酔っぱらいどもが散らかして行ったタバコの吸い殻を拾ってくださった女性の方、ご迷惑おかけしてすいません。ありがとうございましたm(_ _)m。

   1月のHot Shot、2月のClub Dorothy、そして前日の下北LOFT、3ヶ所とも、来たお客さんはみんな俺が誰だか知っているけど決して清志郎のファンばかりという訳ではなかった。でも今回は逆に、俺が誰かは誰も知らないし、興味もないけど、でもやる曲は見てるみんなが知っている。なんだか不思議な状況だった。

   中には、これはほんとか嘘かわからないけれども、清志郎の高校の同級生という、それなりの年格好の女の人がやってきて「私多摩蘭坂って曲どんなのか知らないの。やってよ。」というので、その日3度目の多摩蘭坂を歌ってあげた。曲が終わってすぐ、そそくさと帰ってしまった。これもまた不思議な体験だった。

   居合わせたみんなが特に名乗ることもなく、でも別れ際には「また来年ねー。」約束ともない約束をしてその場を離れた。NHKのFMでは、伝説の久保講堂に行ったのが自慢のアナウンサーが、11時間の生放送の最後に『約束』をかけてたけど、なんか、その歌詞がこの日の多摩蘭坂のイメージそのまんまだった。



(5/3)そのときから手塚理美ファン?

   そんな去年の5月から1年。清志郎のことがきっかけで、何年も連絡を取っていなかった中学や高校の同級生と連絡を取ったり、学生時代の仲間と数十年ぶりでRCと清志郎のコピーバンドをやったり。やっぱりここでも、人の死は時に、人と人とを結びつけたりする。そう思った。人の死に頼らないと結びつけないようなつながりなのかよ、と言われればそれまでだけれども。

   持っていなかった音源もずいぶんたくさん手に入れた。LPで持ってるのを買いなおしたりとか。なかでも、LPを買ってすぐ後に、レコードを落として傷つけてしまった"The Day of R&B"。B面の端っこの方、ちょうど「君がぼくを知っている」のあたりに深い傷が入ってしまい、この曲だけ「ボッ・ボッ・ボッ」というノイズが入ってしまった。ずーっとそのノイズ入りばかり聴いていたので『君ぼく』と言えばそのことを思い出すというくらいなんだけど、やっときれいな音で聴けるようになった。べつに買えなかった訳でもないけど。

   でも、お店で買う品物よりはるかに豊富な音源がYou Tubeやニコニコ動画にアップされたのは、ほんとにびっくりだ。カセットテープに録音して何度も聴いた、83年の箱根オデッセイとか、Youの正月特番、それに、FMで手塚理美がやってた番組に清志郎とチャボが出演した時の音源。こんなのが何十年も後になって聴けるとは、思ってもみなかったから。



(5/3)2009年5月3日 日曜日

   去年の5月3日日曜日、朝。普段はまずかからない、タイマーズの"Daydream Believer"が朝のラジオから流れてきて目が覚めた。瞬間「どっちだ?完治か、それとも。。。」曲のことなんかそっちのけで、MCを待った。

   尊敬する偉大なアスリートの血縁者で、でもあまり好みじゃないそのMC(ナビゲーターっていうのか、あのラジオ局では。。。)の口から発せられたのは「デイドリームビリーバーの純粋な歌詞が胸を打ちます。つつしんで、、、」

   ああ。そうか。ついにこの日が来ちゃったんだな。。。このヒト、きっとRCのことなんてほとんど知らないんだろうな。。。もっともらしいことしゃべってるわりに。ま、いいや。

   インターネットのニュースサイトなんかを見ても、やはりそう書いてある。どうやら間違いなさそうだ。

   「多摩蘭坂へ行こう」と決めた。特に意味もなく。前なら一人で行くところだが、すでに結婚していたので、配偶者と連れ立って行ってみた。ひさしぶりの国立駅、多摩蘭坂、少し都会っぽくなっている。何となくギターを弾いて、何となく歌っていたら、昔日比谷野音や武道館へいっしょに行ったRCファン仲間と出会った。人の死というのはやはり、時に、人と人とを結ぶものであったりする。

   ところで、'94年にキヨシローとチャボが、RCの解散コンサート代わりに開いた"Glad All Over"。その前日までの約ひと月間「自分がRCサクセションや忌野清志郎のライブを見た場所を巡り、それぞれの場所へギターを持って行って歌う。」という自己満足企画をやったことがある。それをまたやってみようと思った。ガキの頃住んでた北海道へは、そうおいそれとは行けないので、しょうがないから家の近くで行けるところを回った。多摩蘭坂を後にして、次に向かったのは日比谷野音。着いたらちょうど細野さんのライブが終わったばかりだった。後から知ったけど、キヨシローのためにHISの「しあわせハッピー」を歌ったんだそうだ。15年前のGlad All Overの日、チケットが手に入らず会場内に入れなかった大勢の人たちといっしょに、日比谷野音の外で漏れ聞こえる音を聴いた、その場所あたりで、何曲か歌ってみた。

   いま思い返してみると、去年はそう何ヶ所も行った訳じゃないなぁ。ラフィー・タフィーを見た「北沢タウンホール」とか、「忌野清志郎丹下左善コンサート」(たった一人、エレキギター一本だけでやったレコ発フリーライブ)を見たタワーレコード渋谷店とかは行ってないし。だいいちタワーレコード行って「かくかくしかじか。という訳だから歌わせてくれ。」とも言えないしなぁ。で、結局青山でのお葬式の後、武道館に行っただけだったんじゃないかな。誰かのコンサートやってる横で、何曲か歌ってきた。これはそんなに楽しくなかったなぁ。。。

   青山ロックンロールショーの日、そう、やっぱりこの日もギターを持って行こうと思って、持って行った。あんなに長時間並ばされるって、知らなかったんだもん。

   ここでもファン仲間と会って、ていうか、連絡とって、横入りさせてもらった。ありがとう。後ろで並んでた人たちすいません。横入りした後ろの長蛇の列にビビりながら、でも自分の前にも遥かなる人垣があって、オープニングのMCが遠い彼方から聞こえてきてた。どんだけ待たされんだろ。この炎天下、脱水症状になるっつーの。。。これじゃあ歌うどころじゃないなぁ。。。遺影の前で歌うか。ちょっとそれも面白いかなぁ。いや、迷惑か。ギター重いなぁ。。。並びながら、ずーっと考えてた。

   結局、何時間か待たされた挙げ句、やっと順番が回ってきた。こんなときはいつも「♪さっきからずっと、順番を待ってる〜。」というRCの"DANCE"が頭の中を回る。あ、でもこの時は会場内でずーっとBGMがかかってたんだっけ。それが後日TシャツつきでCD化。うーむ。さすが大手レコード会社。ごっつぁんです。でもそれとは別に、供物(?)受け渡しのところだけ「ファンからの贈り物」がエンドレス。だから、この日一番たくさん聴かされた曲は、きっと参列した4万3千人全員が「ファンからの贈り物」だったはず。「♪つまらないものは、ゴミ箱に捨てるぜー!」これは痛快。それはいいとして。

   結局ギターケースをあけるタイミングが見つからないまま、順番が回ってきた。RCや清志郎のいろんな曲がBGMで流れてたけど、俺のときにかかってたのは「たとえばこんなラブソング」のライブバージョン。清志郎ががん闘病中に「復帰するまで毎月一曲は歌う」つもりで俺がステージで歌ってた曲だ。なんだか気持ちが高ぶってしまって、気がついたら大声で歌っていた。外で、ファン仲間達が待っていたのに、結局その「たとこん」を最後まで歌い終えてから斎場を出た。歌ったならギターも出せばよかったのに、でも何となく周りが気になって出せずに終わってしまった。あ、そういえば後日発売されたCDには「たとこん」入ってなかったなぁ。流れた曲全部じゃないのかよ。

   斎場を出たところで、有名なテレビ局の取材を受けた。きっとギターを背負ってたからだろう。1「清志郎さんはあなたにとってどんな存在でしたか?」2「一番好きな曲は何ですか?」3「そのギターを、ちょっと見せていただけますか?」4「そのギターの裏にサインが入っていたりとか。。。?」どの質問も全部「この答えを言ってほしいんですけど〜。」と、そのアホそうな女のレポーター(?)の顔に書いてあった。その答えはそれぞれ1「人生の支え。青春。というような、ファンらしい"アツ"いコメント」2「(何でもいいけどなるべくベタな曲)」3「どうぞ。キヨシローに対する思い入れがたっぷり詰まったギターです。」4「もちろんサインも入ってます。」そういう、テレビを見ている人が喜びそうなことを言えと、ほんとに顔に書いてあるようだった。そんなら先に台本でも渡しとけや。インタビュー、終わった後の連中のがっかりした顔。

   翌日その局で清志郎の特番があった。青山の葬儀の様子も映ってたけど、好きな曲はと尋ねられてその時の気分だけで「たとこん」とか答えても、その絵は出ないわな。



(5/3)キヨシロー・トリビュートシリーズ終了

   1年以上もライブをやっていなかったのは、別に清志郎のせいじゃない。つもり。でも、曲を作るのに、ちょっと疲れちゃったというか、挫折感があったのは事実。

   ニコ動とかで昔のオフコースの音源を聴くと、すごくたくさんカバーをやってた。しかもどれもかなりの出来。それが後の成功に貢献していると、言ってもいいんじゃないかなぁ。

   で、ちょっと開き直ってみた。「ヒトの曲ですが、何か?」ぐらいの。せっかくだから、キヨシローに曲を(勝手に)借りてやってみよっと。しかも、ちょっと多めに。そう思った。

   で、1月、2月と、今回5月。3回、やってみた。ほんとはもっとやりたかったんだけど、ちょっと体が言うことを聞かなかった時期があったり。

   結果、楽しかった。大量にコピーをやれば、何か得るところもあるんだろうかと。いろいろ練習するし。

   今後は、どういう展開に、しよっかな。。。



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