(5/4)清志郎が「友人」と呼んだ人物の死 おとといの5月2日、墓参に向かう中央線の車内、扉の上のテレビで、オサマ・ビン・ラディンのことが流れていた。びっくり。清志郎と同じ5月2日に、彼は死んだということになるのか? 清志郎が生前、ある雑誌に連載していたコラムのことを思い出した。以下、転載。 ワイドショーに出てる軍事評論家の奴らは、ハイテク兵器とやらの性能や兵士の人数や戦力がどれほどすごいかとか、この戦争は1〜2週間で終わるとか、えらそうに言っていたよ。先走った奴らは、戦後のことまでいろいろ言ってた。ハゲヅラのエラソーな安っぽいスーツを着た男たちが。砂嵐のことは誰も言ってなかったよな。言っていたかもしれないが、ハイテク兵器はそんなものはカンケーないみたいな。テキトーなこと言うんじゃねえよ、チンピラ野郎が。戦争慣れしてねえくせに。ガキの頃から戦争のまっただ中にさらされてる人間のことを、ガタガタ言うなよ。毎日が戦争の中で育つ子供たちのことなんか想像したこともないんだろう。おまえがテレビで、えらそうな事を言っている間に子供達が死んだり、頭の半分が無くなったり一生の間ベッドの中で生きなくてはならぬような被害にあったり、気が狂ったりしてるんだぜ。いったい240兆円ていうのは、つまりいくらなんだ?それはお金の単位なんですか?100万円のケルビムの最高級の自転車が何台買える金額なんですか?おもしろがっている場合じゃねえぞ。エレキギターが240兆円で何台買えるんだよ。イモな奴ら、そんな金があったら世界中が幸福になれるんじゃないのか?アメリカは借金も払ってないんだぜ。負債を抱えているくせに、どうしてあんなに偉そうにしてるんだ? フセインは20年以上イラクをおさめてきたんだぜ。20年以上続くバンドなんて奇跡のRCサクセションくらいのもんだぜ。 俺はとても不思議だ。人々の上に立つべき総理大臣や政治家が、イモな奴らだってことが。俺達に尊敬されるべき奴がいつもサイテーのクソ野郎なんだ。 そんな腐った国の昼すぎのテレビ。俺は毎日、そんな時間に起きてくる。レンタンで自殺するインターネット仲間、春先の芸能人の自殺、とても不愉快だ。死にたい奴はイラクに行け。イラクに行って、イラク兵になれよ。すぐに死ねるぜ。自殺したい奴はアラブに行け。アフガンだっていいよ。すぐに死ねるぜ。 友人の言葉を紹介しよう。 「アメリカが今、味わっていることは我々がもう何十年も味わってきたことにくらべれば、ごく些細なことである。我々の国(イスラム世界)は80年以上にもわたってこの屈辱といやしめを味わってきた。息子たちは殺され、その血が流され、聖地は攻撃される。そして誰も耳を傾けず、心にも留めない。こうして話してる間にも、何百万もの無実の子供たちが殺されている。アメリカ、、、その国家と人々に対して私は、ほんのいくつかを言いたい。私は柱もなく天空を支え給う偉大な神に誓う。ここパレスチナに暮らす私達の前に平和が戻り、異教徒の軍隊がマホメットの土地から出て行かない限り、アメリカ、そしてアメリカに暮らす人々は安全を夢見ることさえ叶わないだろう。神に平和を。」 2001.10.7 オサマ・ビン・ラディン ほんとうに正しいことって、いったい何なんだろう。ほんっとうに、それで正しかったのか? |
(5/3)武道館のイベント 結局、武道館にたどり着いたのはもう終演時間が近づいた頃。中に入ると演奏はやっていなくて、でっかいスクリーンで清志郎やスティーヴ・クロッパーなんかのインタビューや、ライブ映像なんかを流してた。何度も見たことのある物ばかりだったから、ちょっと退屈だったなぁ。しばらくするとクロマニヨンズが出てきた。ヒロトとマーシー、足細いな〜。『ベイビー逃げるんだ』は、もうブルーハーツやってた頃の歌だから、どっちかっていうとそんなにあれなんじゃないすかねぇ。正直ちょっと、うーん、あれだなぁ。べつにヒロトが歌わなくても。。。ま、いいか。かっこよかったよヒロト。 結局ゲストらしいゲストはそれだけで、あとはもう全部終わっちゃってたんだなぁ。完全にフィルムコンサート状態。ステージの裏側だったから、スクリーン、見づらかったなぁ。首が痛くなる。でも、89年の武道館のライブ映像、これは良かった。『可愛いリズム』初めて見た。うん、よかったなぁ。あと『エンジェル』も。 最後にまたバンドが出た。金子マリとチャボの歌う『ブン・ブン・ブン』。ちょっと、やっぱりこれは、うーん、他の人が歌うのはむずかしいかも。きっとこういうのはミュージシャン側からじゃなくて、企画者側からのリクエストだったりするんだよな。全然無理してた感満載。そんなんじゃなくていいのに。。。で、オーラスは雨上がり。これもなぁ。どうせなら全員出てくればいいのに。出てきたのは奥田民生、斎藤和義、トータス松本の三人だけ。ま、いいけど。 最後は清志郎の映像で終わり。なんだか、ちょっとなぁ。どうなんだろ。他のゲストは良かったのかなぁ。今年、三回忌だから、こんなイベントはもうこれで終わり?これが最後というのは、ちょっと悲しいのではないだろうか。。。 しょうがないから自分で歌お。 |
(5/3)多摩蘭坂へ 墓参の帰り、多摩蘭坂に寄った。こっちも時間が遅かったから(みんな武道館?)か、それとも去年ほど盛り上がっていないからなのか、あまり人が来ていなかった。記帳して、そのあと、昔からある石垣の方へ上ってから、歌った。何人かの人たちが通りすがりに聞いていってくれた。しばらくすると高級マンションの中から少し年配の女性が出てきた。車の出入りの邪魔になるから、よそでやってくれと。 「この場所は昔忌野清志郎本人が歌った場所なんです!」と力説してもしょうがないので、車の出入りのない、少し坂下の方で歌った。よくよく考えたら、今も残るあの石垣のあたりは、国立市じゃなくて国分寺市なんだよな。ま、いいか。
1時間ちょっとで17〜8曲も歌ったろうか。武道館のイベントが始まる時間をもうとっくに過ぎてしまった。しょうがないので「もう最後の曲になっちゃいました。」なんて言って、まぁ、その流れだと雨上がりを歌うことになるんだけれども、歌詞を忘れたこともあり、2番くらいまでで終わらせて、武道館に向かった。 聞いてくださった皆さん、ありがとうございましたm(_ _)m。 |
(5/3)三回忌 清志郎のお墓参りに行ってきた。着いた時間が遅かったからか、他には誰も来てなかった。
今年は平日だったので、高尾駅からの送迎バスはなし。しょうがないから片道15分(公称)の山道を、歩いて登った。ギター持っていったし、実際は20分以上かかったと思うけど。 去年も思ったけど、少し日が陰りはじめてからの景色が、とてもいい。高校生の頃、授業をさぼって煙草を吸いにいった近所のお墓によく似た景色。誰もいなかったので、ちょっと歌ってきた。 |
(5/3)街の灯り 降って湧いた「節電対策」のせいで、それまで昼間のように明るかった夜の街の明かりがずいぶん消えた。そしたら、なんだか街がとても穏やかで、澄んだ感じに映るようになった。きっと昭和30年代の街は、こんなだったんだろうか。看板の灯りがギラつき始めたのは、80年代くらいからなんだろうか。。。 でも、暗いところから見えないと困る、地下鉄の入り口や、住宅地の街灯なんかは、出来れば残しといてほしいんだが。。。 |
(5/3)4月の書き残し 震災があって、なんとなく暗い感じの日々が続いたので、、、という訳でもないんだけど、いま、この人だったらなんて言うだろう、と、とても気になったので、エンケンのライブに行ってきた。4月14日、吉祥寺の夜。このとき以来だから、約4年ぶり?ゲストでコシミハルが出てた。 エンケンの歌、というより、話を聞いて、なんか少し落ち着いた。自分が思っているいろんなこと、反体制の象徴である彼はどう思っているんだろう。そんなことを気にして少しびくびくしていたんだけど。そういえば、少し前に主人公の名前が「エンドウケンジ」の映画があったなぁ。そういうとこにファンが多いんだよな。 自分に出来ることを、背伸びせずにやろう。でも「何が正しくて、何が間違っているのか?」については、いつも考えていよう。そう思った。メディアで報道されていることが正しいことなのか?たくさんの人が同意するから、それは正しい意見なのか?とか。 |
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