(9/23)白内障 2 一年に一度くらいは、ババァのところに行って診てもらっていたが、まだ50代だし、左目だけコンタクトレンズにしようかねぇとかいう話になり、コンタクトを入れる練習を始めた。ところが生来の怖がりが災いしたのか、コンタクトを入れようとすると目を閉じてしまって、自分で入れられない。そうこうするうちになんと、コロナが流行り始めた2020年の春頃、病院を閉め、彼女は引退してしまった。。。マジかよおい。 けっこう、頼りにしてたのにな。。。その後一年くらいして、近所のスーパーで彼女に会った。俺の名前は忘れてた。まぁ、大勢いる患者の一人だからな。でも元気にしてくれてたならいいよ。許す。 その後「コンタクトを作る」というそれだけのために、目医者に3軒ぐらいかかった。どこへ行っても、コンタクトだけの患者は邪険に扱われる。ババァは親切で優しかったなぁ。。。タメ口上から目線の看護師や、中年親父というだけで犯罪者みたいに扱う女医とか。コンタクト作るの自体が嫌んなった。 4軒目の目医者はコンタクトとは言わず「白内障の手術をしましょう。」という判断だった。もうかなりおじいさんの医者。正直、ちょっとホッとした。50代で白内障手術は少し早すぎないかと尋ねると、50代なら手術する人もいますよとのこと。大学病院に紹介状を書いてくれた。あ、やっと左目の激痛から解放されるかも。。。 さらに、つづく。 |
(9/18)白内障 高校生のころ、スキーの1級を取ろうと、冬は毎日スキーの練習をしてた。ゴーグルをつけると目の周りがくすぐったくなるというか、北海道弁だと「いずい」感じになるので、ゴーグルをつけずに毎日やってたら、念願叶って一級に合格した後「利き目」の左目が急に悪くなった。眼科に行ったら「乱視」と言われた。視力はそれまでの1.2から0.5へ急降下。右目の視力は特に下がってない。 それ以来「ガチャ目」(←コンプライアンス的にアウトか?)の生活が続いていた。受験のときとか、大学一年くらいまではメガネも使っていたけど、裸眼でそんなに不便もなかったので、めんどくさくてメガネかけるのをやめてしまった。 40代くらいから、白内障が進んできた。近所の眼科のおばあちゃん先生(←親しみを込めて「ババァ」と呼んでいた。本人のいないところでは。これもアウトか?)によると、右目より左目の方が、症状の進みが早いらしい。まぁしばらくは様子を見ましょうということで数年経ってしまったが、50代に入る手前くらいからどんどん視力が落ちてきた。いくら乱視でも、信号が三重に見えるのはマズくないだろうか。しかも左右の視力が違いすぎるので、活字を読むときは左目を使わず右目だけで老眼鏡を頼りに読むか、逆に左目を本から5センチくらいのところまで近づけて読むか、どちらか。しかし、これを長く続けていると左目の奥が強烈に痛くなってくる。 つづく。 |
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